はじめに:善意から生まれる「経営者目線」という呪いの言葉
「もっと経営者目線で仕事をしてくれ」。
あなたの会社でも、会議室や面談の場で、こんな言葉が飛び交っていませんか?
社長や役員が部下を鼓舞しようと口にするこの言葉。その背景には、「もっと主体的に、積極的に仕事に取り組んでほしい」という、善意に基づいた切実な願いがあることは間違いありません。
変化の激しい時代を乗り切るため、組織の隅々まで当事者意識を浸透させたい。そんな経営者の思いは、戦略的に見てもっともなことです。
しかし、これからお伝えしたいのは、この「経営者目線を持て」という要求が、実はおかしいことで、構造的に不可能であり、心理的に裏目に出てしまう、効果がないどころか有害でさえある「呪いの言葉」だという事実です。
この記事では、この「経営者目線を持て」という使い古された指示を様々な角度から解き明かし、なぜそれがおかしいのか、なぜそれが機能しないのかを明らかにします。そして、その善意の裏にある本当の目的を達成するための、もっと効果的で、具体的なアプローチを提案します。
まずは経営者と従業員の役割に横たわる根本的な違いを理解し、なぜ経営者がこの言葉を口にしてしまうのか、その心理を探ります。
次に、従業員がこの要求に応えられない理由を分析し、最終的に、曖昧な「目線」を求めるのではなく、具体的な「当事者意識」を育むための、実践的な組織づくりのヒントをお届けします。
そもそも見ている景色が違う!経営者と従業員の越えられない壁
「経営者目線」という要求がうまくいかない根本的な理由は、それが従業員の「意識」や「やる気」の問題だと思われている点にあります。
しかし実際には、両者の視点の違いは、個人の意欲の差ではなく、それぞれの役割に組み込まれた客観的で構造的な違いから生まれる、ごく自然な結果なのです。
この「ズレ」を理解しない限り、本質的な解決はありえません。
責任とリスクの重みが違いすぎる
最も決定的で越えがたい壁は、背負っている責任とリスクの大きさです。
経営者の意思決定は、会社の存続そのものを左右し、法的な責任や、時には私財を投げ打つほどの個人的な金銭的リスクを伴います。その責任はほぼ無限大です。
一方、従業員の責任は、基本的に与えられた仕事の範囲内。業務上の失敗で個人が損害賠償を請求されることは極めて稀で、最大のリスクは職を失うことです。
この「背負っているものの重さ」の圧倒的な違いが、物事の捉え方や判断基準に根本的な差を生み出しているのです。
使える権限と見える範囲が違いすぎる
従業員は特定の部署に所属し、限られた職務の中で成果を出すことを求められます 。彼らの権限は、その仕事をやり遂げるために必要な範囲に限られており、部署をまたぐような決定や、会社全体のお金をどう使うか、といったことには関われません。
対照的に、経営者は一部門の利益(部分最適)ではなく、会社全体の持続的な成長(全体最適)を考えるのが仕事です。
従業員に全体最適を求めるのは、彼らに与えられていない権限の行使を求めるようなものなのです。
持っている情報量が違いすぎる
正しい経営判断を下すには、会社の財務状況、市場の動き、ライバル社の情報、未来の計画といった、包括的でトップシークレットな情報が不可欠です。
経営者は、航海の全体像を示す「地図」を手にしています。しかし、従業員に渡されるのは、自分の仕事に必要な範囲の、いわば「断片的なメモ」だけです。
地図を持たない船員に、船長と同じ航路を判断しろというのは、構造的に無理な話。全体を見渡すための判断材料が、そもそも手元にないのです。
見ている時間軸が違いすぎる
両者が見ている時間の長さも全く違います。一般的に、従業員は日々のタスクや今月の目標達成に集中し、その時間軸は1ヶ月程度。
管理職になってようやく1年先、そして経営者は3年から10年という未来を見据えて、会社の舵取りをしています。
この視点の高さ、つまり「視座」の違いは、役割の違いから必然的に生まれるものなのです。
これらの違いを整理すると、「経営者目線」とは、個人の心構えというより、経営者という役割が持つ特殊な条件(無限のリスク、全社的な権限、すべての情報)から生まれる「結果」だということがわかります。
従業員にその条件を与えずに「目線」だけを求めるのは、チェスの駒であるポーンに「クイーンのように動け!」と言うようなもの。それはやる気の問題ではなく、ルールの問題なのです。
表1:経営者と従業員の役割比較
項目 | 経営者 | 従業員 |
時間軸 | 3~10年(長期的な企業価値の創造) | 1ヶ月~1年(短期的なタスクの完了、昇進・昇給) |
視野 | 組織全体、市場、社会(全体最適) | 自分の部署、自分の業務(部分最適) |
第一の責任 | 会社の存続と成長、法的な責任 | 与えられた職務の遂行 |
リスク | 無制限(財務、法務、個人資産) | 限定的(雇用) |
情報アクセス | 財務・戦略情報へのフルアクセス | 職務に関連する限定的な情報 |
報酬 | 会社の業績に連動(利益、株価) | 基本的に固定(給与、限定的なボーナス) |
なぜ言ってしまうのか?「経営者目線を持て」に隠された社長のホンネ
構造的に無理があるとわかっていながら、なぜ経営者はこの言葉を繰り返してしまうのでしょうか。
この要求を単なるマネジメントの失敗と片付けるのではなく、その裏にある経営者特有の心理的なプレッシャーや戦略的な狙いを理解することが、より良い解決策への第一歩となります。
「孤独」という名の叫び
経営とは、本質的に孤独な仕事です。会社の最終的な運命を一人で背負い、従業員の生活を守るという重圧と常に戦っています。この計り知れない責任感と危機感を、心の底から共有できる相手は社内にはいません。
だからこそ、「経営者目線を持ってほしい」という言葉は、単なる業務指示ではなく、「この重圧を少しでも分かち合ってほしい」「同じ船に乗る仲間として、自分と同じ気持ちでいてほしい」という、一種の「心の叫び」なのです。
それは、孤独な船長が乗組員に送る、共感を求める無意識のシグナルなのかもしれません。
VUCA時代を生き抜くための戦略
現代は、VUCA(ブーカ)時代、つまり、先行きが不透明で将来の予測が困難な時代と言われています。
このような環境では、トップダウンの指示だけでは変化のスピードについていけません。生き残るためには、現場の従業員一人ひとりが自分で考え、判断し、スピーディーに行動する、しなやかな組織が不可欠です。
経営者の要求は、この組織的な機敏さを手に入れたいという、極めて合理的な戦略的意図の、少し不器用な表現なのです。
「指示待ち」ではなく「パートナー」であってほしい
経営者が本当に求めているのは、言われたことだけをこなす従業員ではなく、自ら課題を見つけ、コストを意識し、改善策を提案してくれるビジネスパートナーです。
コストと利益のバランスを考え、どうすればもっと価値を生み出せるかを考え、チーム全体の成功に責任を持つ。これらすべてが「経営者目線」という一言に凝縮されているのです。
認められたい、という人間的な気持ち
あまり語られませんが、経営者自身の「承認欲求」もこの言葉の背景にあるかもしれません。誰かに認められたい、評価されたいというのは、人間が持つ自然な欲求です。
従業員が「経営者目線」で考え、行動してくれることは、経営者自身のビジョンや判断が正しかったことの証明となり、リーダーとしての自信につながります。部下からの共感や支持は、孤独な意思決定者にとって大きな心の支えとなるのです。
これらの動機を分析すると、「経営者目線を持て」という言葉が、実は矛盾したメッセージになっていることがわかります。
「俊敏な組織を作りたい」という戦略的な要請と、「孤独な重圧を分かち合いたい」という心理的な要請が同居しているのです。
しかし、その伝え方が「命令」という形になることで、戦略的に不可欠なはずの「自律性」をむしろ奪ってしまう。「主体的に動け」と命令されることで、かえって受け身になってしまうという、皮肉な構造に陥っているのです。
従業員の本音「そんなこと言われても…」の裏にある心理的ブレーキ
では、従業員はなぜその要求に応えられないのでしょうか。
それは、やる気がないからでも、サボっているからでもありません。そこには、合理的でどうしようもない、構造的・心理的な壁が存在するのです。
「経営者目線」って、具体的に何ですか?
最大の問題の一つは、「経営者目線」という言葉自体が、あまりにも曖昧なことです。
コストを削減しろということ?新しい事業のアイデアを出せということ?それとも長期的な視点を持てということ?
具体的な行動が示されないまま、抽象的な「目線」を求められても、従業員は何をすれば評価されるのかわからず、混乱し、結局何もできなくなってしまいます。
心のモヤモヤ、「認知的不協和」のワナ
これが最も根源的な心理的ブレーキです。
従業員は、リスクが限定され、給料が固定された雇用契約という現実の中にいます。その一方で、ハイリスク・ハイリターンのオーナー意識を持つことを求められる。
この「置かれている現実」と「求められる心構え」の間に生じる激しい矛盾は、「認知的不協和」と呼ばれる強い心理的ストレスを生み出します。人間はこのストレスを解消するため、矛盾するどちらかの考えを修正しようとします。
現実(雇用契約)は変えられないため、最も簡単な解決策は、求められる心構えの方を「自分は従業員なのだから、そんな考え方は無理だ」と否定すること。これは、自分を守るための合理的な心の働きなのです。
自分でコントロールできないリスクは、本能的に避けたい
人間の脳は、自分がコントロールできないと感じるリスクを避けるようにできています。
従業員は、会社の重要な戦略、資金繰り、人事といった、経営の根幹に関わる意思決定にほとんど関与できません。それなのに、会社の業績悪化といった自分ではどうしようもないことについて、経営者と同じレベルで心配し、責任を感じるよう求められることは、脳が「危険信号」を発する状況なのです。
権限なき責任は、「割に合わない賭け」だと本能が判断し、心理的な抵抗を生むのです。
失敗が許されない職場で、挑戦はできない
経営者のように考えるとは、現状を疑い、リスクを取って新しいことに挑戦し、時には失敗することも含みます。
しかし、多くの組織では、失敗は許されず、評価が下がる原因になります。このような心理的安全性が確保されていない文化の中で「経営者目線で挑戦しろ」と言われても、「失敗したら責任を取れ」という脅しに聞こえてしまいかねません。
従業員にとって最も安全な戦略は、言われたことだけを完璧にこなすこと。挑戦を促す言葉が、皮肉にも挑戦を阻む壁になってしまうのです。
「自分ごと」になるための3つのスイッチ
心理学の研究によれば、人が心から「自分ごと」として物事に取り組む(=当事者意識を持つ)ためには、3つの基本的な心の欲求が満たされる必要があると言われています。
- 自律性
自分で考えて、自分で決められるという感覚。 - 有能感
自分の行動が良い結果につながっているという実感。 - 関係性
組織の目的や仲間と強いつながりを感じられること。
トップダウンで「経営者目線を持て」と命令することは、従業員の「自律性」を真っ向から否定する行為であり、「自分ごと」になるための心のスイッチをオフにしてしまうことになりかねないのです。
「株主」になれば「経営者目線」になれる?金銭的インセンティブの幻想
「従業員にオーナーのように考えてほしければ、彼らをオーナーにしてしまえばいい」。ストックオプションや従業員持株会といった制度は、この考えを形にしたものです。
一見、論理的で魅力的な解決策に思えますが、実はこれらの制度も万能薬ではなく、経営者目線を育む上ではいくつかの限界があります。
メリット:会社と個人の利害が一致する
確かに、ストックオプションや持株会は、従業員の経済的な利益と会社の業績を直接結びつける強力なツールです。
会社の株価が上がれば自分の資産も増えるため、モチベーションを高め、会社全体の目標に向かう一体感を生む効果が期待できます。
特に、資金の少ないスタートアップにとっては、優秀な人材を引きつけるための重要な武器となります。
デメリット1:株価は自分でコントロールできない
最大の弱点は、従業員のモチベーションが、自分たちの努力だけではどうにもならない株式市場の動きに左右されてしまうことです。
世界的な不景気や予期せぬ出来事で株価が下がれば、どんなに頑張ってもインセンティブは失われます。
これはモチベーションの低下に直結し、時には「頑張っても無駄だ」という冷めた感情や不満を生む原因にもなり得ます。
デメリット2:不公平感が不満の種に
誰に、いつ、どれだけのストックオプションを与えるのか。この基準が不透明だったり、一部の人に偏っていると感じられたりすると、組織内に深刻な不公平感を生み出します。
一体感を生むはずの制度が、逆に社内の分断や嫉妬を招く危険性があるのです。
デメリット3:お金が目的になると、人は去っていく
ストックオプションは、権利が使えるようになるまでの期間、従業員を会社に引き留める効果(ゴールデン・ハンドカフス)があります。
しかし、その裏返しとして、権利を使って利益を得た優秀な人材が、会社を去ってしまうリスクも常に存在します。
これは、制度が育んだのが長期的なオーナーシップではなく、短期的な金銭目的の忠誠心だったことを意味します。
結局のところ、これらの金銭的インセンティブは、始めの章で見た構造的な壁のうち「報酬」の側面にはアプローチできますが、「情報」や「権限」といった他の決定的な壁を埋めることはできません。
会社の株を少し持ったからといって、自動的に経営判断に必要な情報や権限が手に入るわけではないのです。株主であることと、戦略家であることはイコールではありません。
金銭的インセンティブは従業員を「利害関係者」にはできますが、それだけで「戦略的思考者」に変えることはできないのです。
答えは「命令」ではなく「設計」にあり。「当事者意識」が自然と育つ環境の作り方
本当に優れたリーダーは、部下に特定の「目線」を持つことを命令しません。
その代わりに、従業員一人ひとりが自分の仕事にオーナーシップを持ち、主体的に関わる感覚、すなわち「当事者意識」が自然と生まれるような「環境」をデザインします。
ここでは、その環境を構築するための具体的な4つの原則をご紹介します。
原則1:情報をオープンにして「考える材料」を渡す(透明性)
最初のステップは、社内に存在する情報の格差を意図的に壊すことです。
経営判断の元になっている情報を、できる限り従業員と共有しましょう。例えば、簡単な損益計算書(P&L)、各部署の予算、会社の最重要目標(OKR)、市場や競合の分析などです。
重要なのは、決定事項の「何を(What)」だけでなく、その決定に至った背景である「なぜ(Why)」を丁寧に説明すること。これが、従業員がより賢い判断を下すための「原材料」になります。
原則2:本当の「権限」を渡して任せる(エンパワーメント)
単なる「作業の丸投げ」ではなく、「意思決定の委譲」へ移行します。
従業員に、決められた範囲内での予算を使う権限、仕事のやり方を改善する権限、小さなプロジェクトを実行する権限などを与えることで、本当の責任感が生まれます。
例えば、星野リゾートやスターバックスのような企業は、現場のスタッフが顧客満足度を上げるためにその場で独自の判断を下せる権限を与えることで、高いサービス品質と従業員のやりがいを両立させています。
ただし、明確な方針やサポートなしに権限だけを渡すと、現場が混乱してしまう失敗例もあるので注意が必要です。成功の鍵は、自由とルールのバランスにあります。
原則3:会社の目標と自分の仕事を「つなげる」(OKR)
OKR(Objectives and Key Results)のような目標管理の仕組みを導入することで、会社の壮大なミッションから個人の日々の業務まで、透明で一貫した目標のつながりを作り出します。
これにより、従業員は自分の仕事が、会社全体のどの目標達成に、どう貢献しているのかをはっきりと理解できます。この「貢献している実感」こそが、当事者意識の強力な源泉となるのです。
重要なのは、野心的な挑戦を促すために、OKRの達成度を直接的な給料やボーナスと結びつけないことです。
原則4:「対話」を通じて視点を引き上げる(1on1ミーティング)
定期的な1on1ミーティングを、単なる進捗確認の場から、部下の成長をサポートするコーチングの時間へと変えましょう。
上司は指示や命令をするのではなく、良い質問を投げかけることで、部下の考えを広げ、深める手助けをします。「経営者目線で考えろ」という抽象的な命令は、ここで具体的なコーチングに置き換えられるのです。
当事者意識は、命令によって植え付けられるものではなく組織というシステムが生み出す「結果」です。
従業員が「意思決定に必要な情報を持ち(透明性)」、「意思決定する権限を持ち(自律性)」、そして「自分の意思決定がなぜ重要なのかを理解している(目的意識)」という3つの条件が揃ったとき、彼らは自然とオーナーのように振る舞い始めます。
なぜなら、その領域において、彼らは事実上の「オーナー」だからです。行動は、環境のデザインに従うのです。
表2:コミュニケーションを変えよう!「曖昧な要求」から「視点を引き上げる問いかけ」へ(1on1での活用例)
曖昧な要求 | 視点を引き上げる問いかけ |
コスト意識について 「もっとコスト意識を持って」 | 「この業務の費用対効果を最大化するために、どんな工夫ができますか?」 「もしこのプロジェクトの予算が20%増えたら、何に使いますか?逆に20%減ったら、何を諦めますか?」 |
主体性について 「もっと主体的に動いて」 | 「次の3ヶ月で、私たちのチームが会社に一番貢献できる『新しい挑戦』は何だと思いますか?」 「今の仕事のやり方で、『これは非効率だ』と感じる点はありますか?改善案を一つ考えてみてください。」 |
戦略的思考について 「経営者目線で考えて」 | 「私たちの部署の目標は、会社のどの戦略目標に繋がっていると思いますか?」 「3年後、私たちのお客様が一番求めているものは何に変わっていると思いますか?その変化に今からどう備えるべきでしょう?」 |
結論:リーダーの真の役割は、「精神論」ではなく「環境設計」
この記事でお伝えしたのは、従業員に「経営者目線」を求めるのはおかしいし無理だということ、「従業員に経営者目線を求める」という一般的な要求が、善意から生まれながらも、構造的・心理的な現実を無視した、効果の薄いアプローチだという事実です。
経営者と従業員の間の見えない壁は、意識の差ではなく、役割、責任、リスク、情報、権限といった構造的な違いから生まれています。
真の変革は、従業員の心を変えようとする精神論から、彼らを取り巻く環境を変える組織デザインへと、考え方をシフトすることにあります。
リーダーの真の役割は、特定の考え方を部下に注入する「精神論の伝道師」になることではありません。透明性、自律性、そして目的意識という3つの柱に基づいたシステムを設計し、従業員一人ひとりの「当事者意識」が自然と花開く土壌を耕す「環境の建築家」になることなのです。
空虚な「目線」のモノマネではなく、本物の「当事者意識」を持った従業員で満たされた組織こそが、これからの不確実な時代を勝ち抜く、真に強くしなやかな組織の姿ではないでしょうか。